Disabled in STEMM

サンムク・リー博士 字幕テキスト

あなたの障害についてお話しください

リー博士:私の名前はサンムク・リーです。現在59歳で、15年前の2006年7月2日に障害を負いました。自動車事故で、運転していたバンが横転したのです。事故は韓国ではなく、カリフォルニアで起きました。私は地質学者であり、海洋学者でもある、海洋地質学者です。2006年、韓国の学生たちに本物の地質学を教えたいと思い、カリフォルニアの地質学調査に出かけました。カリフォルニア工科大学(カルテック)と私たちのソウル国立大学が合同で調査を行っていたときに、私が運転していたバンが横転するという事故が起きたのです。私は首の骨を折りました。首の骨の中には小指ほどの太さの脊髄がありますが、それが圧し潰されたのです。第四頸椎と呼ばれる骨が完全に切断され、いまは自分の体をこの程度しか動かすことができません。肩から下はすべて私の頭とのコミュニケーションが断たれている状態です。ただ、ありがたいことに、私はそれまで知らなかったのですが、呼吸器や消化器、心臓などは、脳からの指令に依存していないのです。まるで地方自治体のように自律機能があるんですね。おかげで、(脳からの)コミュニケーションが断たれているにもかかわらず、今もって私の体が機能していることに驚かされます。

脊髄を損傷すると、生きていくうえで困ることがいくつかあります。例えば、私は指一本動かすことができません。体調が急変しても、手を動かせれば何とかできますが、それができないので、24時間介護者が付き添い、緊急時の私の手になってもらう必要があります。

こうした事故に遭ったにもかかわらず、私は幸運だったと思っています。自分にとって真に大切な部分は残ったのですから。医師たちは当初、脳の損傷で知的能力にも影響が出るだろうと思っていたそうです。でも、実際に私の知的能力には問題は生じず、しゃべることもできましたので、他のことはそれほど重要ではなく思えました。以前はゴルフをやっていましたが、タイガー・ウッズのようなゴルファーではなかったので、ゴルフができないから残念だとは思いません。また、スキーもしていましたが、そんなに上手くなかったので、ガレージセールに出しても惜しくはありません。私はたくさんのものを失いましたが、必要不可欠なものはちゃんと残ったんです。まるで、航空機の事故でおおぜいが亡くなった中で、たった一人生き延びたようなものです。それが私の実感ですね。

科学知識を持っていたことが社会復帰するうえで役に立ちましたか?

リー博士:ええ、そのことこそが、私が一番世界の人々に向けて発信したいことなんです。知識こそが何よりも大切なんです。私は科学者として、問題について考えて解決するという訓練を受けてきました。その訓練がこの事故で本当に生かされたのです。私が事故に遭ったのが韓国ではなくアメリカだったことも幸いしたと思っています。アメリカのほうが医療体制が整っているからではなく、独りでいられたからです。もし韓国でけがをしていたら、友人や親族が駆けつけて慰めてくれていたでしょうが、それはきっと逆効果だっただろうと思います。彼らは私の耳に心地よいことだけを吹き込んで、無駄な期待を持たせたでしょう。実際には、私はたった一人で病室にいて、必死に解決策を考えていたのです。もし私が科学者じゃなかったとしたら、おそらく私は今でも病院の中にいて、何もわかっていない人たちの間違ったアドバイスに耳を傾けていたでしょう。

だから、私は皆に言うんです。昨年(2019年)も、うちの大学の総長から、新入生向けのスピーチを依頼されたのですが、そこでも若者たちに言ったんです。「君たちは何者かにならんとこの大学に入学し、社会の出世階段を上り、夢をかなえようとしている。けれど、一つ知っておかねばならないことがある。知識を得ることは、地位や名声を得て、夢を実現することだけに役立つわけではない。それは、君たちの人生の最悪の瞬間に、そこから抜け出すための導きの光となるのだ。真っ暗なトンネルから抜け出すための頼りの光なのだ。君たちは、ソウル国立大学に入学して(日本でいえば東京大学のようなところですが)、厳しい受験競争の末に入学し、ひとかどの人物になり、出世したいと思っている。しかし、それは正面から見える一面でしかない。君たちにそのようなことが起こらないことを祈っているが、もし深い淵に落ち込むようなことがあったら、知識こそが君をそこから導きだしてくれるものだ」と話したのです。

知識は二つの斜面からなっているのです。一つは山の頂きに向かって登っていく斜面、もう一つは頂上からくだっていく斜面です。自分の人生の終わりに、棺桶か墓場に向かって、たった一人で山を下っていくときにも、知識は導きの光となり、指針となるのです。

仕事を続けるのをあきらめようと思ったことはありませんか?

リー博士:事故があったとき、12人の学生が、現地でアメリカの学生たちと行動を共にしていました。 私が運転していたバンには、私を含めて7人が同乗していました。事故後、私は他に誰が怪我をしたか聞きました。引率教員として、私には学生の安全に対する責任がありましたから、責任を負うべき教授として真っ先にそのことを質問したのです。すると、皆「誰も怪我をしなかった」というのです。私は、「よかった、これはとても悲惨な事故だが、私さえ立ち直ればすべてが平常に戻る。誰も他に怪我をしていないなら」と思いました。しかし、3か月後に、私は1人の学生が亡くなっていたことを知りました。医師が、家族や友人たちに、私にそのことを知らせないように言い含めていたのです。10月ごろ、韓国に戻ってから、1人の学生が現場で亡くなったことを知ることになりました。その時に思ったことは、「どうして私が大学に戻れようか」ということでした。私は仕事をあきらめるつもりでした。

けれども、とても不思議なことが起こったんです。本当に不思議な話です。ソウル国立大学の教授で、私は面識もなかった、少し年上の、工学部機械工学科のリー・コンウ教授が、その年にとても大きな学術的な賞を受賞しました。そのときの10万ドルの賞金を、私のことを聞きつけた彼が寄付してくれたのです。同じ大学の人ではありますが、一度も会ったこともない人です。確かに2人ともMIT[注:マサチューセッツ工科大]に留学した経験がありましたが、同じ時期ではありません。それなのに、私のことを聞いた彼は、私にそのお金をくれることを決めたのです。大学にしてみれば前代未聞のことで、世間にニュースとして広めたかったようです。でも、私は、「マスコミに出る気はない。学生が亡くなっているというのに、新聞に載るなんて恥知らずなことができようか」と答えました。それで、私のことはメディアには出ず、新聞にもまる1年の間、載りませんでした。私の監督下で学生が亡くなっているのに、華々しくメディアに出るなど考えられません。ただ、ソウル国立大学の学生新聞のインタビューの求めには応じました。ソウル国立大学には24時間新聞記者が詰めているのですが、その中の一人がその記事を読んで、私の研究室にやってきました。彼の記者としての本能が「これは一面記事だ!」と直感させたのでしょう。彼は、韓国最大の新聞社に駆け戻って、編集長の許可を取り付け、私の話を翌日の新聞の一面トップ記事として取り上げたのです。韓国で最大の発行部数を誇るその新聞の朝刊の一面に載った見出しは、「わずか6ヵ月で教壇への復活を遂げた真のスーパーマン」というものでした。2008年のその日以来、事故から1年半ほど後のことでしたが、韓国中のメディアで私のことが持ちきりになりました。私は韓国で偶像的なスーパースターになり、誰もが私のことを知っています。あとはご存じのとおりです。

事故に遭ったことで科学や研究に対する考え方に変化はありましたか?

リー博士:事故当時、私は44歳で今よりずっと若く、エネルギッシュに研究に専念していました。しかし、障害は私に一種の覚醒をもたらしました。夢を見ることについて、確かカール・ユングは、「夢は自分自身を外部に投射するもの、覚醒は自分自身を外側から内部へと投射するもの」というようなことを言っています。私は、人が簡単に死んでしまうことを知ったのです。自分ももう終わったと思いました。科学はもちろん大切ですが、自分が本当に死んでしまう前に、もっと大きな絵を見たいと思ったのです。そういう意味では、障害は私の科学に対する態度にも大きな影響を及ぼしました。もし私が障害を負っていなかったら、私はひたすら地球科学の中のごく一部の領域のことだけを考えていたでしょう。でも、今は、意識して、人生におけるもっと大きな問題、大きな絵に目を向けるようにしています。私は宗教的な人間でないと強調しておきますが、私たちにはわからないことがたくさんあるからこそ、なるべく大きな課題を見据える必要があるんです。このことで、科学に対する視野が広がりました。科学と宗教は対立の極にあり、いわば白と黒の関係ですが、私はその間のグレーの領域にも目を向けようと思っています。つまり、私は完全な知、完全知に関心をもっています。私は、自分が人間の知の周縁に立って、その先に何があるかをのぞき込もうとしているのだと思っています。科学というのは、とても法則的で、力があります。それでも、本当に我々が知りたいと思っている疑問には、すべて答えてくれません。たとえば、「私たちの人生は決められているのか? 死後の世界には何があるのか? 死とは何か?」といった問いには、科学は全く答えられないのです。でも、私としては、片一方の側だけにいて、もう一方の問いに答えようとしないのは意気地のないことだと思います。科学者の仕事は問題を解決することであって、いかなる質問からも逃げてはいけないのです。もちろん、私が問題を解くことができるかどうかはわかりません。しかし、それに挑戦しないでいることは科学者としての罪です。多くの科学者が自分の小さな問題だけに取り組んでいますが、私はもっと大きな絵を描きたい。

ですから、私はとてもたくさん本を読みます。1ページも自力でめくることができませんが、それでもこの15年間で、おそらく1300冊くらいアマゾンの電子書籍やオーディオブックを買ったはずで、ジェフ・ベゾス[注:元アマゾンCEO]を金持ちにしてあげました。少なくとも10万ドルは本につぎ込んだと思います。哲学、歴史、文学、科学、ありとあらゆるものの本です。

ですから、障害は姿を変えた祝福だったのです。もし私が障害を負っていなかったら、私はこうした多様な知に触れることはなく、思考の幅を広げることもなかったでしょう。障害は実は隠れた祝福であり、私は、コンピュータは障害者にとって神様からの贈り物だと言ってます。コンピュータのおかげで私は本を読むことができ、Zoomを使って学生を教えることができ、世界中を旅することもできる。身体的な制限は、実際にできることに比べればとるに足らないものです。

理工系領域の障害学生へのアドバイスは?

リー博士:STEM[注:理工系領域]の多くの科学領域は観察や実験を必要とします。しかし、今日では、コンピュータのおかげで、これらのことはサイバースペースで行うことができます。例えば、私が知っている生物学領域の学生は、生命情報学を専攻しています。今やコンピュータはあらゆる科学の根幹にあって、障害をもつ人々にもアクセスしやすいものです。だから、コンピュータは障害者にとって神さまからの贈り物だと思うのです。コンピュータがあれば、障害のある人も様々な分野の科学に挑戦できます。

さらに大事な点は、経済的な自立で、そのためにそれなりの給料を稼がなくてはなりません。「僕は芸術に関心がある」という人には、「それでお金を稼げるかい? まずはウェブデザイナーとか、コンピュータ関連の仕事につく方法を学びなさい」といいます。「あなたがやりたいと思う仕事があるだろうが、まずはしっかり稼いで自立できるような仕事を見つけることだ」といいます。どんな領域の学生であっても、芸術でも社会科学でも人文科学でも、「まずどうやって食べていくつもりなの? コンピュータを学びなさい。そうしてお金を稼いで、経済的に自立して、自分が好きなことができるようになりなさい」と言っています。STEMは、まさに障害をもつすべての人々が目指すべき道なんです。「STEMに関心はありますか?」なんて聞いている場合ではなく、「STEMを目指さない限り、他者に依存した生活から抜け出せないよ」と言うべきなのです。完全に自立するためには、STEMしかない。後で自分のやりたいことに取り組めばいいんです。私はもっと(STEMに触れる)機会を提供すべきだと思います。STEMは科学と技術だけじゃない。自分で稼いで自立するための手段です。私は学生たちに、「地球科学はとても面白いですよ。地震や津波の研究は興味深い」などは言いません。「何をやりたいのかなんて聞かないよ。そんなことはどうでもいい。どうやってお金を稼ぐんだい? コンピュータをやりなさい、やらなきゃ人生はおしまいだよ」と言います。実際には、そこまで単刀直入には言わずに、もう少し言葉を選びますけどね。でも、本当にそうなのです。単にSTEMを学ぶ教育なのではなく、自立を提供する教育なのです。